漁港 漁村
2011年08月16日
三原市須波
須波港
現存する最古の防波堤のひとつ
近世以前の日本の土木遺産の総合調査—中国地方にみる独自の地域性
馬場 俊介, 樋口 輝久, 劉 瑜; “近世以前の日本の土木遺産の総合調査
—中国地方にみる独自の地域性”,
土木学会論文集D, Vol. 65, No. 2, pp.175-186, (2009) .
須波波止
楢崎正員(まさかず)は,元和6年(1620),三原市西町のそろばん製造業を営む
楢崎家に生まれ,家業に専念した。延宝元年(1673),54歳で京都に上り,
山崎闇斎(やまさきあんさい)の門に学び,学の奥義を究めて帰郷し,
三原城主浅野忠義(あさのただよし)の知遇をえた。元禄9年(1696)に77歳で没し,
大善寺に葬る。翁は晩年須波に隠居したが,この地の東風の強いのをみかね,
私財を投じて波塘(はと)を築き,海運の便をはかった。今日その遺跡は翁の
善功を伝えている。墓所,屋敷跡,波止が指定されている。
この波止は南側長さ75m、北側長さ53mで高さはともに
4.5mである。
なお国道沿いの内側石組などが築かれていたが
国道185号線拡張のとき、そのまま埋められた。
(現地案内板より)